年に1回の外食と海水浴

物心ついた時から父は祖父の会社にそれなりの役職で勤めていて、基本的に不在がちだった。

 

夜、家に居たとしても必ずビールの大瓶を5本くらい空けていて、酔っていた。

小さい頃はうるさい!と怒鳴られるくらいで、会話という会話をした記憶がない。

 

母は専業主婦。

 

仕事0、友達0、知り合い0、趣味0の、ゼロ女だった。

母は車の免許も無く、スーパーに自転車で買い物に行く以外一切出掛けることはない。

 

当然娘の私達も普段どこかに連れて行ってもらうことは無かった。

 

父は週の半分は飲み歩き、週末はゴルフ。

 

我が家の行事は年に1度だけ。

夏休みに父が隣の県の海へ海水浴に連れて行ってくれる。

それだけだった。

 

普段から車慣れしていなかった私達姉妹は、道中酔いに酔い、何度も車を停めた。

 

年に1回の海はその日であっても遠く遠く…思い返せば楽しかった、より、辛かった部分が蘇る。

 

海の帰りに近くのラーメン屋でラーメンを食べて、家に帰る。が決まりのパターンだった。

 

幼なじみのK子ちゃんは、遊園地に行った、レストランに行った、おもちゃを買いに行った、とよく話してくれた。

休みの日に訪ねても誰も家におらず、今日は遊ぶ相手がいないな…と悲しかったのを覚えている。

 

身近なK子ちゃんの家族の話を聞いていると、うちはお金がないからどこにも行けないのかな?貧乏だから、仕方ないんだな…と幼心に思っていた。

 

が、当時決して我が家は貧しかったわけではなかった。

むしろ、祖父の会社でそれなりのポストを与えられていた父は、なかなか稼いでいたのだ。

 

単純に私達家族に還元されてなかっただけ。

父は自分の稼いだ分を、自分で全て散財していた。